◆3/8原発賠償 京都訴訟 第24回期日の御礼と報告

みなさま
原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会事務局の上野と申します。

昨日は、原発賠償京都訴訟第24回期日、原告本人尋問が再開されました。朝は支援者の出足が悪く、傍聴席は埋まらないかもしれないと心配しましたが、無事抽選になりました。傍聴に参加いただいたみなさま、抽選にはずれて帰られたみなさま、ありがとうございました。

今回は原告9人が証言台に立ちました。証言台に立たれた原告のみなさま、お疲れ様でした。

本人尋問は、主尋問5分、反対尋問20分(東電・国合わせて)という変則の時間配分でした。細かい証言内容の紹介は避けますが、それぞれの原告が訴えられた要点をまとめてみました(ただし、その場限りの聞き取りによるので、勘違い等があるかもしれませんが、その点はご容赦ください)。

◇避難指示区域の富岡町から避難した男性は、原発が爆発したことでショックを受け、体調を崩し、職も失った。だが、原発事故で失ったのは金銭だけではない。仕事も友だちも未来も失った、と訴えました。

◇仙台市から避難した女性は、子どもに沢山ののう胞が見つかった。早く正しい情報を教えてもらっていたら、子どもたちを被ばくさせずに済んだと思うと悔しいと涙ながらに訴えました。また、空間線量が下がったことを強調する被告側代理人の尋問には、「空間線量だけでなく、食べ物からも被ばくする」と内部被ばくの危険性を訴えました。

◇福島市から避難した男性は、子どもたちが喘息のように咳き込んだり、連日鼻血を出したり、目が開かないくらい目やにが出たことについて、障がいがあって自分で外に出ることのない長女にも被害が出たので放射線の影響があると思ったと証言。裁判所に対しては、原発事故は薬害エイズや水俣病と同じだと思う。大企業の利益を優先した結果、一般市民が被害を受けた。判決で、そういう社会のあり方を変えてほしい、と訴えました。

◇福島市から避難した女性は、子どもたちは高校生以上だったが、女の子の場合は生殖細胞にも影響があるという記事を読んだこと、事故前は子どもの枕元で0.4μSv/hあったことから避難を決断。今でも母が送ってくる手作りの干柿から50ベクレル/kgのセシウムが検出されることを証言。裁判所に対しては、きれいな自然環境が壊され、大きな喪失感がある。原発事故がなぜ起きたのか、真実を明らかにしてほしい、と訴えました。

◇福島市から避難した女性は、避難後に子どもが「放射能のばい菌、帰れ」などのいじめを受け、喧嘩両成敗の形で退学に追い込まれたことを証言。裁判所に対しては、被告の国と東電は避難はおかしいと責めているが、安全と言い張って原発を作った自分をまず責めるべきだ。18歳以下の甲状腺がんは調査のたびに増えている。避難する権利を認めてほしい、と訴えました。

◇郡山市から避難した男性は、メルトダウンという事実やスピーディのデータを隠した国や行政の「心配しなくてもいい」は信用できなかった。娘夫婦は近くに家を建てる計画をしていたが、すべて崩れた。故郷が元のようになれば帰りたい、と証言しました。

◇いわき市から避難した男性は、農業研修を終え農地を借りて農業をやる予定だったが、原発事故で農産物の価格が下落するのは目に見えていたため、就農の受け入れ先を探し京都へ避難。研修中に借りていた農地で使っていた不織布から20万ベクレル(/㎡か?)のセシウムが出た。放射線管理区域並みの汚染が残るいわき市に帰る気はない、と証言しました。

◇福島市から避難した男性は、避難先での仕事がうまく行かず避難前に営んでいた不動産会社を再開することになったが、山や川、森の除染が進んでおらず、子どもが遊べるような状態ではないため、妻と子どもを連れて帰ることは考えていないと証言。被告が事故の責任を負わないことに憤りを感じる。この裁判で解決してほしい、と訴えました。

◇つくば市から避難した男性は、子どもを守りたいとおもい避難した後、通常の勤務以外に夜間のアルバイトをした無理がたたり、脳こうそくを発症し療養生活を余儀なくされた。避難する際、セシウムの半減期くらいは帰れないと思っていた。放射線量、食べ物、環境すべてで安全・安心が確認されるまでは帰れない、と証言しました。

被告側からの反対尋問は、相変わらず①講演会に行って聞いたと言うと、「誰の講演会か」「その人は放射線の専門家ですか」と問い、(これは専門家でもない人の意見を聞いて勝手に判断したと印象付ける意図があるものと思われます)、②避難前に子どもが通っていた幼稚園や原告の勤務先、近所で他に避難した人はいたかと問う(避難した人がいない、または少ないという答えを引き出すことで、原告が放射能を気にしすぎていると印象付ける意図)というパターン化したものでしたが、今回は損害請求の内容(例えば、家財道具の引っ越し代、買い揃え、人の移動費用、避難雑費)について、「家財道具とは具体的にどんなものを?」などと細かく聞いてきました。

ある原告さんが「崎山先生や矢ヶ崎先生」という名前を挙げたのに対しては、さすがに「専門家ですか?」とは聞けないので、「先生から直接避難した方がいいと言われたのか」と聞いてきました。これは、専門家の場合はその人から直接避難を勧められたわけではないとしてその効果を低める意図があると思われます。また、ある原告さんは「放射能の危険性についての認識の違いから周囲の人とコミュニケーションがとれなくなったんですね?」と聞かれ、「放射能の危険性は自分で調べないとわからない」と答えていました。

それぞれ言い忘れたことがあったとか、あそこはこう言えば良かったなどの反省はあると思いますが、みなさん頑張って証言をされたと思います。

閉廷後に開催された報告集会には、証言台に立った4名の原告も参加され、全員があいさつをされました。その中で印象に残ったのは、「本人尋問では、被害者が責められる感じになるので、支援者の方の存在が支えになります」との言葉でした。報告集会で記入いただいた感想については別途紹介させていただきます。

これからも本人尋問が、3月29日(水)、4月21日(金)、5月12(金)、5月26日(金)と続きます。丸1日の傍聴は長いため、午後からは空席が目立つようになってきました。午後からだけの傍聴も大歓迎です。傍聴席を満杯にするために、ぜひ京都地裁にお越しください。よろしくお願いします。

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