◆5/26 原発賠償 京都訴訟第28回期日の御礼と報告

支援する会事務局の上野です。5月26日の原発賠償京都訴訟第28回期日の報告です。

◆原告本人尋問の最後の傍聴ということで、多くの支援者の方が駆けつけてくださり、抽選となりました。また、午後からも抽選となり、途中で退席する方の情報を得て、何人かの方が法廷入り口で退席者を待つという事態になりました。

今回は9人の原告が証言台に立ちました。原告が訴えた点を中心にまとめてみました。

◇会津美里町から避難した女性は、長男の健康への影響を心配し、家族は一緒に居るのが当たり前という考えから、母親、妹二人も一緒に避難。長男が橋本病だと診断され、避難するまでに11か月かかり被ばくさせてしまったと悔やんだ。モニタリングポストでの計測の仕方には疑問があるし、土壌も汚染された。国や東電は責任を認めて、安心して子育てができるようにしてほしい、と訴えました。

◇三春町から避難した女性は、健康を害し、放射能から逃れるために娘や孫と東京へ避難。近くに清掃工場があり、被ばくも懸念されたので大阪へ。しばらく娘のところにいたが、自分もちゃんと住まいを構えないといけないと思い、京都に移住した。夫は京都では友人もできず、コンクリートのマッチ箱のような家では息がつまると言って、三春町に帰っている。自分は空間線量が下がったといっても事故前には戻っていないので帰れない。〝自主避難者〟は貯金を取り崩して生活しており苦しい。国と東電は責任と非を認めて償ってほしい。きれいな環境に戻してほしい、と訴えました。

◇福島市から妻と子を母子避難させている男性は、事故当時は毎時10μSvぐらいあり、子育てできる状況ではない、逃げさせなくてはいけないと思った。自分は生活を支えるために残ったが、毎日寂しく、割り切れない思いをしている。今でもホットスポットが至る所にあり、日々被ばくのリスクを抱えながら生活している。妻と子を避難させて良かったと思っている。福島市は28万人の県庁所在地だから避難指示区域に指定されなかったと思っている。子どもの命が軽んじられたと思う、と訴えました。また、〝自主避難者〟が作った映画の上映後に教師が語ったという「自分の子どもに(避難させなくて)ごめんねという想いを持って生きてきたが、それを言えなかった」という言葉が紹介され、みんなのが胸
を打ちました。

◇いわき市から避難した女性は、先に避難した親戚や知人から「避難しろ」という電話が入り、市から「安定ヨウ素剤を取りに来るよう広報があり、子どもから「うちはいつ避難するの?」と聞かれる状況の中で、夫が避難を決断。京都に着いた時、子どもは「もう深呼吸してもいいんだよね」と言った。夫はその後、仕事と家が心配だということで、いわきに帰った。40キロ先に第1原発が建っており、地震の度に不安になる。親が不安に思うところに子どもたちを返すわけにはいかない。長女から「私、結婚してもいいの?子どもを産んでもいいの?」と聞かれても「国がちゃんと守ってくれるよ」と言えないのがつらい。もっと誠意を持って対応してほしい、と訴えました。

◇仙台市から母子避難し、いまは山形市に移住した女性は、長男の離乳食を始める時期だったので、不安になり調べた。土壌汚染をチェルノブイリ法に当てはめると放射線管理強化ゾーンに近いと思い、ここでは生活できないと思い、京都へ母子避難した。しかし、見知らぬ土地で育児を手伝ってもらう人もいないので、家族で暮らしたいということで山形市に移住し、夫はそこから1時間半かけて仙台まで通っている。仙台市の土壌汚染は数百ベクレル/㎏で一見すると低そうに見えるが、本来ならドラム缶に入れて保管しないといけない値だ、と訴えた。

◇いわき市から母子避難した女性は、ネットで知り合った人に「空間線量は下がってきているが土壌汚染は免れない」と教えてもらい、ここには居られないと思い、娘2人を連れて京都へ避難。その後、避難に対する考え方の違いから夫と離婚。長女は右脇の下のリンパが腫れ、のう胞も見つかった。次女は「いわきに帰りたい。パパに会いたい」と感情を爆発させて体調を崩し学校に行けなくなった。私自身は帯状疱疹に3回かかった。元の自宅の庭の土を測ったら放射線管理区域を超える数値が出た。また、いわき市の家庭で掃除機にたまったゴミからは5000ベクレル/㎏のセシウムが検出された。戻れる状況だとは思わない。原発事故で家族がばらばらになった苦しみを知ってほしい。未来ある判決を望ん
でいる、と訴えた。

◇郡山市から避難した女性は、当時11が月だった長男の健康に不安があった。長男の主治医から「外で遊び太陽を浴びて育つことが大事だ。なるべく遠くに行く方がいい」と勧められた。また夫の上司からも「県外避難も視野に入れるように」とのアドバイスがあり、夫が再就職したばかりだったので、母子避難した。京都で「自分の子どもは福島の人とは結婚させない」」と言われ、それからは福島出身と言わないようにし、一線を引いて付き合っている。夫は避難後、就職したが休みをとれずメニエル病を発症したり苦労した。帰りたいが、子どものことを考えると帰れない、と訴えました。

◇二本松市から避難した女性は、学校の先生から鼻血を出す子が沢山いると聞き、ここでは生活できないと思い、母子避難した。夫は住宅ローンの支払いもあり、生活を支えるために残った。避難後は2歳の子を預かってくれる所がなく、1人で育児と家事をやらなければならず大変だった。その後、夫も合流したが、収入が減り苦労した。事故前は将来のイメージを持っていたが、今は夢も目標もなくなり、根無し草のように生活している。線量が戻ったとしても、向こうで再び仕事を探すのが大変だし、子どもが帰ることに納得しないので戻れない、と証言しました。

◇福島市から母子避難した女性は、福島市の線量が毎時24μSvと高く、小4の娘が鼻血を出した同じ日に姪も鼻血を出したと知り、異常だなと思って避難を決意。講演を聞いた空本議員(民主党。小佐古参与の教え子)は、こそっと「お子さんは避難した方がいい」とアドバイスしてくれた。600人ぐらいの小学校で50人ぐらいが避難していた。夫は自営業で、生活を支えるために残った。家族が離れた寂しさや食生活の乱れから、夫はメニエル病の症状が悪化した。私は帰りたいと思っているが、娘をこれ以上被曝させたくはないし、娘も京都か関西にいることを望んでいる。裁判長の質問に答えて、公的機関がきちんと土壌汚染を測ってほしい、と訴えた。

これまでは、「声が聞こえにくい」という声が傍聴席から上がっていましたが、この日の9番目の女性は、逆に浅見裁判長から「声が大き過ぎるので、もう少し抑え気味に」と注意される一幕もあり、大いに法廷を和ませてくれました。証言された原告のみなさま、本当にお疲れ様でした。

今回で、長かった原告本人尋問の傍聴活動は終わりです。専門家証人尋問(2回)も含め、昨年12月からの6か月間で実に9回の期日がありました。毎回のように傍聴に参加くださった支援者のみなさま、本当にありがとうございました。

◆さて、裁判もほぼ終わり、残るは8月18日と9月29日(結審)を残すのみとなりました。弁護団は最終準備書面や最終弁論の準備に入って行きます。さて、原告や支援者は結審に向けて何をするのか。この裁判が社会的に注目されていることを裁判所に示すための公正判決要請署名です。

昨日の開廷前に、26団体、3,803筆を第3次分として京都地裁に提出しました。これで、累計110団体、11,919筆となりました。次回の第4次集約は9月15日、提出は9月29日結審の日です。この時に累計で2万筆になるよう取り組んで行きます。

そのために6月10日(土)と25日(日)の午前中に街頭署名活動に取り組みます。複数の原告が参加を表明しています。時間と場所は、ブログhttp://shienkyoto.exblog.jp/ やこのMLでお知らせしますので、ぜひご参加ください。

◆結審の9月29日(金)の午後から勝利に向けた集会とレセプションを開催します。時間と場所は追って連絡しますが、ぜひ日程を開けておいてください。

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