◆世代と海を越えて連帯する ―核と戦争のない世界のための日韓反核旅行―

【2018年9月28日,京都キンカンで配付。】

韓国・日本の脱原発・反原発運動の強固な連帯で、
互いの政府や電力会社を追い詰め、
手を携えて世界の原発の全廃を勝ち取ろう!

世代と海を越えて連帯する

―核と戦争のない世界のための日韓反核旅行―

若狭の原発を考える会・木戸 恵子

◆韓国のムン・ジェイン大統領は、2017年6月、韓国の最も古い原発・コリ原発1号機の閉鎖式典で、
①原発建設計画の撤回(6基)、
②老朽原発の寿命延長はしない、
③慶州ウオルソン1号機の早期閉鎖、
④新コリ原発5、6号機増設計画については市民が決める、
⑤脱原発ロードマップを策定する、
と宣言した。

しかし、同大統領は、その宣言を反故にし、2018年3月、韓国が外国で初めて請け負ったアラブ首長国連邦のバカラ原子力発電所の完工式に出席し、また、5基の新核発電所をコリとウルチンに建設を進めるとするなど、核マフィアとともに原発の稼働政策を進めている。

◆この状況の中、9月13日(木)~16日(日)、韓国の「核廃棄のための全国ネットワーク(準)」などが企画された「核と戦争のない世界のための日韓反核ツアー」に、日本から13名が参加し、韓国の4か所(24基)で稼働する原発の内、2か所の原発の現地で反原発を闘う人達と交流するとともに、反基地を闘っている方たちとも交流を深めた。

●13日(木)午後7時、ソウル円仏教教堂において、「日本の原発問題と反原発運動」と題して、若狭の原発を考える会の木原壯林さんが質疑応答を含め2時間の講演をおこなった。

・講演の概要は、
日本政府の原子力政策(エネルギー基本計画、危険かつ実現不可能に近い核燃料サイクルへの固執、日本政府は原発輸出を経済政策の目玉の一つに、日本の原子力政策の要点と政府のたくらみの暴露など)、
「新規制基準」と規制委員会審査の問題点(新規制基準は3つの用件で構成されるが、これらは計画に有無を審査するのであって、実行されたことを確認するものではないこと、防災計画と住民避難計画は規制委員会の審査対象外であること、それでもこの審査結果が原発稼働を左右すること、など)、
日本の原発が持つ問題点(原発集中;若狭には13基の商用原発と高速増殖炉「もんじゅ」、ウラン、プルトニウム混合酸化物燃料を使ったプルサーマル運転、40年越え老朽原発の運転、行き場のない使用済み核燃料など)、
日本の反原発運動
日本の脱原発訴訟
「若狭の原発を考える会」の目指すところ・過去1年間の主な活動・これらの行動で私たちが獲得した成果
などで、通訳を交えた講演であった。

▲ソウル講演会

 

 

 

 

▲テジョン 30 km連帯懇談会

・会場からの質疑応答には、
①日本政府が公表した「科学的特性マップ」の日本人の反応はどうだったか、
②プルサーマルは日本の全ての原発でできるか、
③日本の再処理は乾式か湿式か、
④世界的な気候変動の中、脱核のスピードを落とさなければいけないと聞いたが本当か、
⑤日本では使用済核燃料の処理に困っているのに、インドへの原発輸出の条件に、インドで出た使用済み核燃料を日本で引き受けるのは、矛盾しているのではないか、
など韓国と日本の状況の違いや、日本政府の矛盾点が指摘された。

・講演の最後に、「今、脱原発・反原発は世界の趨勢になりつつあります。韓国、日本の脱原発運動が強く連帯して、大きなうねりを創り、原発が技術的には人類の手に負えるものではなく、経済的にも成り立たないことを政府や電力会社に思い知らせ、手を携えて世界の原発の全廃を勝ち取りましょう!」と訴え、会場から惜しみない拍手がおくられた。

●14日(金)同じ内容で2回目の講演会が、テジョン市老隠図書館において行われた。

・講演終了後の質疑応答の中では、
①若狭の原発を考える会の4年間続けている、「地道に」、「骨身を惜しまず」の行動に拍手と連帯を送りたいと前置きして、韓国では湿式だから核拡散にならないと政府は言っているが本当か、
②高速炉とプルサーマルの違い、
③テジョンにある韓国原子力研究院の半径1.5 kmに25000人が住んでいるが、日本にも同じようなところがあるか、
④韓国では反対しているが、日本では40年間再処理をしているが、どういう状況か、
⑤木原さんのような専門家が反原発の運動をされていることに驚きと感銘を受けたが、今の日本では専門家による反対運動が出来る状況にあるのか、
など熱心討論が交わされた。

・その後、テジョン市の巨大な核マフィアの中心・韓国原子力研究院の前に反核団体が集まり、抗議行動の「記者会見」が展開された。私たちも、旗を立てて「共同声明」に参加した。韓国では集会が禁止されているため、記者会見という名目で抗議行動を続けている。困難な中、工夫して闘うことを教えられた集会だった。

▲「30km連帯」へ旗の贈呈
▲原子力研究院前の「記者会見」

・印象的だったのは、テジョンの教会で開かれた「30 km連帯、住民との懇談会」においての、15歳の少女のスピーチであった。

・「私は現在を生きていきたい」と訴え、
「福島の原発事故が起きた時は8歳だった。福島原発事故から7年目の時、原発に関心をもってほしいと張り子で作った黄色の核廃棄物のドラム缶に座りながら街中でチェロを演奏した。原子力研究院の人達が様々な事故を起こしたのをみて、彼らは賢くないことを学んだ」、
「皆で努力をして政権を変えることができたが、世界はそう簡単には変わるものではないことも学んだ」、
「自分が生きていく世界を自分で直接作るべきで、学校に行かなかったことで国会にも行けたし、皆さんに訴えることができた」
と彼女自身の生き方や感性に、聞いていた韓国と日本の皆さんから盛大な拍手が起こった。

・終了後、スピーチをした少女を若狭の原発を考える会の反原発の旗で囲んで、木原さんと橋田さんより「30 km連帯の方へ、世代や海を越えて、原発をなくしていくために、連帯の意味を込めて」というメッセージとともに「反原発」の旗が贈呈された。

●15日(土)午前中、韓国の東の端に立地するヨングァン原発に対して闘う現地の方々と、原発ゲート前で短時間の集会をおこなった後、生命平和村に移動し懇談した。

・参加者の、
「原発が近いので、農作物が安く買いたたかれる」、
「ムン・ジェインになって、反核運動が衰退した」、
「使用済核燃料を乾式で保管しようとする政府が、お金をちらつかせながら村人を分断しようとしている」
などの発言を聞き、日本の政府や電力会社と同じような姑息な手段で住民を分断している状況がよく分かった。

・午後7時、星州(ソンジュ)郡ソソン里のサードミサイルに反対するロウソク集会に参加。闘いの中で歯を折られ、痛々しいマスク姿の婦女会会長が
「サードが来ると聞いた時引っ越しをすればいいと思っていたが、今は未来の子どもたちのために、世界平和のために闘っている」
と村での命を懸けた反基地の闘いを報告された。全員で黙祷の後、韓国語で「ニム(あなた)のための行進曲」を歌う。最後の部分「私が先頭に立つから、生きている者は後からついてこい」と繰り返し歌った。

●16日(土)、韓国の西の端に立地するウオルソン原発の慶州(キョンジュ)市ナア里の移住対策委員会の方と懇談した。

・住民の住むところから1 km 以内に、カナダ式重水炉が4基と韓国製原発が2基あり、30世帯が闘っている。ナア里に向かうバスの中で、飲み水やお風呂の水も他から調達していると聞いた。ウオルソン原発展示館前に2015年から合法的にテントを建てて、移住を要求している。政府からは安全だと聞いてきたが、福島原発事故を見て、原発は事故を起こすと知り、この闘いは自分達の生存権の問題だと知ったと話された。毎週月曜日に、テント前に並べられた自分たちが入ると決意した「柩」を抱えて、ナア里の町中を歩く闘いを続けている。

▲サードに反対するロウソク集会
▲ナア里移住対策委員会テント前

◆今回の日韓交流は、韓国の反原発や反基地の行動的な闘い方に刺激を受けながら、世代と海を越えて原発の全廃を勝ち取るために、地道に、骨身を惜しまず訴えていきたいと、改めて思った旅であった。

橋田秀美さんの報告に移る
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