◆4/21 原発賠償 京都訴訟第26回期日の御礼と報告

原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会事務局の上野です。
 
昨日(4月21日)に行なわれた原発賠償京都訴訟第26回期日の報告です。長文、重複、共にご容赦ください。
 
今回は、何期日ぶりかで傍聴席が埋まりませんでした。新年度を迎え、職場の移動などもあり、休みにくい方もおられたのかも知れませんが、午前中で傍聴券席が10席近く余っていました。午後からは代理人席、原告席もまばらになり、傍聴席も空席が目立ちました。
 
久しぶりに託児を希望する原告さんが2名おられたため、託児スタッフの確保が必要になりました。直接声をかけ募集もした結果、なんとか4名(うち1名は午前だけ)の方が託児スタッフを引き受けてくれました。1日は長かったと思いますが、子どもたちは元気に過ごしたようでした。託児スタッフのみなさま、本当にお疲れ様でした。
 
今回も朝から夕方まで原告本人尋問でした。証言に立ったのは9名。原告が訴えたことを中心にまとめてみます。

◇郡山市から避難した女性は、子どもを被ばくさせたくなくて家に缶詰状態にしていたが、ストレスを感じて母子で避難。夫は飲食店を開店したばかりだったので残ったが、家族が離れて暮らすのは限界だと思い3年後に店を閉めて合流した。戻りたい気持ちはあるが、子どもの健康とまた転校の辛さを味わわせたくないので、今は戻る気はないと訴えました。

◇千葉県柏市から妻子が避難している男性は、勤務先の大学のモニターで空間線量が高いことがわかり、子どもと妊娠中の妻を心配して妻の実家がある京都へ避難させた。宿舎で付き合いのあった人たちはほとんど転居した。市は除染は終わったと言っているが、アスファルトが交換されたことはない。元の数値に戻るには10年スパンで見ていかないといけないと思っていると訴えました。

◇福島市から避難した男性は、今の妻と付き合っていたが、線量が高かったので福島で子どもを産むのは厳しいと判断。職場が避難所になっていたので、仕事を辞めて避難するまでに3~4か月かかった。子どものことを考えると今は戻る気はない。元と同じ線量になれば帰りたい気落ちはあると訴えました。

◇いわき市から避難した男性は、地震で家の壁が落ちて使えない状態になり、福島第一原発で働いていた義兄から「ヤバいぞ」と言われて避難を決めた。長男は入学が決まっていた茨城県の高校の寮へ戻った。長女は学校で「福島から来た子」と言われて不登校になり、結局妻の実家に帰ってしまった。知人や親戚が線量を気にしながら生活をしているのを知っているので、下の子を連れて戻ることはできないと訴えました。

◇福島市から避難した男性は、地震の日に妻子は避難し、自分も翌日合流して実家のある山口県へ避難した。その後、妻子は福岡市→福津市→京田辺市と住まいを変え、自分も福島大学を辞め、西日本の大学に移った。2年間の別居生活の間に56回妻子に面会に行った。低線量被ばくの健康影響が明らかになっていない中で、避難には合理性があるし、自分たちが被った被害は原発事故によって必然的に生じた被害だと思う。東電や国は真摯に対応してほしいと訴えました。

◇福島市から一時妻子が京都に避難していた男性は、原発が爆発した時の放射線量が30μSv/hだったこと、アメリカ政府が自国民に80キロ以内から避難せよと指令を出したことを知って妻子を避難させることを決めた。住宅ローンがあり、自分は仕事を辞められないので、上司に相談して転勤・出向願いを出していたが、13年12月に認められ、大分に転勤になり、家族と一緒に住めるようになった。避難者についての今村復興大臣の発言は許せない。二度とこういうことが起きない社会になればいいと思っていると訴えました。

◇福島市から避難したのち戻った女性は、先に兄が避難したのと回覧板で近くの公園の線量が高いことを知って避難を決めた。子どもが通っていた幼稚園・小学校では合わせて100人はいなくなった(避難した)。生活が苦しくなり戻ったが、支援があれば避難を続けていた。戻ってからも、野菜は京都から取り寄せ、水も買っている。子どもが外出する時はマスクをさせ、長袖・長ズボン。弁当を持って行かせるために私学に入れた。戻ってからも精神的苦痛があるので請求したいと思っていると訴えました。

◇千葉県松戸市から避難した女性は、子どもがリンパ性の病気にかかり、再発したら生命にかかわると言われていた。チェルノブイリ事故では白血病が多発したことを知っていた。長男は夏から原因不明の高熱が続き、長女は頭痛、だるさ、吐き気が続いた。子どもは住む所を選べないので、親が決断しないといけないと思った。避難後に千葉県でも甲状腺がんが患者が見つかった。千葉県北西部の汚染を知ってほしいと訴えました。

◇郡山市から避難した男性は、1歳の子どもがあり、妻が妊娠していたので、健康被害が心配で避難を決めた。避難後、放射能への恐怖、家族の健康被害への恐怖、知らない土地での生活などが重なり、うつ症状になった。今も睡眠障害がある。いくら除染しても森林が手つかずでは、線量はまた戻ってしまう。東電と国がちゃんとしていなかったので事故が起こった。復興大臣の「自己責任」発言はあまりにも無責任だ。強い怒りを覚えると訴えました。
 
被告側からの反対尋問はすでに聞き飽きていますが、「親や兄弟は避難したか?」「職場、同級生で避難した人はいたか?」「帰ることを検討したことはないか?」「市の広報紙に載っている線量を知っているか?」など。個別の損害に関しては、「新たに買ったテレビが○○円となっているが、もっと安いものもあるのではないか?」などと質問し、会場の失笑を買いました。また、「転居した際に、家財道具を持って来ることもできたのではないか?」と問い、「引っ越し代が高くつくので実家にあげた」との返答にグーの音も出ない場面もありました。
 
証言に立たれた原告のみなさんは、堂々と自分の思いを述べ、被告側の反対尋問にも誠実に対応していました。その姿勢は、仕事とはいえ加害者でありながらまるで検事のように上から目線で尋問する被告側代理人の下劣な品性を炙り出していたと思います。
 
今回はいろいろな事情で報告集会ができないため、昼休みに食事をとりながら簡単な集会を行ないました。今後本人尋問を控えている福島在住の原告(妻子が避難中)は、福島県の中通りで生活する住民が精神的被害を訴えて裁判を起こしたと報告、避難していない人も決して安全・安心だと思って暮らしているわけではないことを訴えました。ほかに、これから証言台に立つ原告とすでに立った原告が一人ずつ挨拶に立ちました。また、ひょうご訴訟の原告も支援を訴えました。
 
いま増えている関東からの避難者たちの交流グループ(GO WEST)からこの間の取り組みと今後の予定が報告されました。
 
次回は5月12日(金)です。9名の原告が証言台に立ちます。毎回同じような反対尋問も聞き飽きた感はありますが、証言台に立つ原告にとってはそれぞれが一回きりの本人尋問です。次こそは傍聴席をぜひ満杯にしたいと思いますので、ご協力をお願いします。

◆公正判決署名、海外でも!

支援する会のみなさま
原告のみなさま

いかがお過ごしでしょうか。日々、いろいろあります。原告の福島です。
表題の件、海外に滞在の原告園田さんより心温まるメールをいただきましたのでご紹介します。
リバプールでの緑の党世界大会へ参加した園田さんの報告です。この報告は、週末に公正判決署名が1万人突破したことの知らせとともに大変ありがたいものであるためみなさまへ送ります。

園田さんmail抜粋

私は二日目の核セッションでスピーチしました。
敦子さんやみんなの顔が浮かんでくるので、涙をこらえるのが大変でした。
セッション後も多くの方の反応が止まらない状況でした。
韓国緑の党代表のLeeさんが私のスピーチの原稿を韓国語に翻訳して拡散してくれることになりました。
その他にも、ウェールズのカーディフ緑の党、英国リーズ緑の党、マンチェスター緑の党も原稿を拡散してくれます。

日本語での報告です。→こちら

公正判決署名は、3日間会場で一人一人に声をかけ集めました。
170筆以上集まりました。
中には、元サンフランシスコ市長、スウェーデン国会議員、様々な国の市議会議員、科学者も含まれています。
スウエーデン国会議員さんは、今週月曜から始まる国会で福島避難者のことを話すからと、署名英語版も持っていってくれました。
今のところ、合計250筆以上は集まっています。
英語版も出来る限り拡散しているので、事務局に海外からの郵便物が届くようになればいいですね。

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園田さんは、この2日目の分科会で、日本から来た被爆者の方と一緒に登壇し、被爆者のお二人は「私たちは福島原発避難者に早急な支援が必要だと訴えています。そして一日も早く広島長崎被爆者のように被曝手帳を福島原発避難者にも与えて欲しいのです。」と伝えたそうです。園田さんは、彼女たちの包み込むような優しさ、その下にはとてつもない強さがみえて、涙が出てしまったと。また、一緒に核のない世界になるよう頑張りましょうと励まされたようです。

園田さんの息子さんは、イギリスで、木津二中にいる同級生に負けないくらい頑張っています。ブラスバンド全国大会で優勝したそうです。
復興庁が帰還政策に明け暮れています。木津川市の府職員住宅は、4世帯の避難者が住まう所でしたが、無償提供打ち切りですでに1世帯が退去、あと1世帯も今春には退去予定です。日本に帰ってくるのを楽しみにイギリスでがんばっている園田さん親子のためにも(もちろんほかの府住宅に住まう方々も!)住宅問題は今後も大きく展開していかなければなりません。(今、京都府の住宅問題が深刻です)

公正判決署名、感謝の意を込めて(長文失礼しました)
福島敦子

◆3/29 原発賠償 京都訴訟第25回期日の御礼と報告

支援する会事務局の上野と申します。

3/29の原発賠償京都訴訟第25回期日の報告です。今回は春休み、年度末という事情もあってか、支援者の出足が悪く、時間切れで抽選には至りませんでしたが、傍聴券はすべてなくなり、傍聴席は満席となりました。

今回は原告7人が証言台に立ちました。前回と同じように主尋問5分、反対尋問20分(東電・国合わせて)、再主尋問5分という変則の時間配分でした。それぞれの原告が訴えた要点をまとめてみました。なお、資料はなく、耳で聞いたことをメモしたので、聞き間違いがあるかもしれませんが、ご容赦ください。

◇須賀川市から避難し、いまは戻っている男性は、念願のお好み焼き屋を開業していたが、事故が起こり、一番は娘の健康だと思い、店を処分して避難。だが、いい就職口が見つからず、3年後に戻った。私の人生は原発事故で狂わされ、夢をあっという間に壊された。その責任を取ってほしい、と訴えました。

◇福島市から避難した女性は、自分の工房を持ち、陶器の制作・販売、陶芸教室を開いていた。収入は少なかったが喜びを感じていた。娘の健康被害を心配して避難した。避難後は陶器の制作はしていない。工房は今も線量が高くて帰れない。放射線量が事故前に戻ったら、すぐにでも帰りたい、と証言しました。

◇いわき市から避難した女性は、何も知らずに外に出て子どもたちを被曝させた。これ以上被曝させたくないと思い避難した。今年の正月に実家に帰った時、周囲の線量を測ったが、自宅前にあるブルーシートや神社など線量が高いところがあり、帰るのは危険だと思った。かけがえのない時間を犠牲にして避難したことを理解してほしい、と訴えました。

◇福島市から避難し、いまは戻っている女性は、パティシエとしてお菓子教室を開いていた。避難先では優しい言葉をかけてくれる人もいたが、差別的なことを言う人もいた。心身の疲労と経済的にやっていけなくて、妥協して戻らざるを得なかった。フレコンバッグがあちこちにあり、昔のようではない。食材についてはとても気を使っている、と証言しました。

*次は郡山市から避難の女性でしたが、私は井関弁護士から呼ばれて廊下に出たために、主尋問と東電代理人の反対尋問を聞くことができず、要点をまとめることができません。悪しからず。

◇福島市から避難し、いまは新潟県の長女宅に身を寄せる女性は、助産士の資格を取り、長年の夢だった助産所を開設。もともとプルサーマルに反対し、もし事故があれば避難しようと思っていたので、三女のいる京都へ。その後、左腕を壊死性感染症に侵され、入院中付き添ってくれた長女の家に移住。助産所のお客は80人ぐらいいたが、そのうちの15人くらいが避難した。事故が落ち着けば帰りたい。チェルノブイリのように原発を囲ってもらいたい、と訴えました。

◇いわき市から避難した女性は、観光農園を営み、ブルーベリーなどを栽培していた。ベリー類は収穫するまでに時間がかかる上に、放射能を吸着しやすいため、原発の爆発に危機感を持ち、農園を廃業して避難した。京都で起業を支援するプロジェクトに応募し、ブルーベリー栽培を始めたが、収穫はまだ。葛藤しながら生活している、と証言しました。

今回の反対尋問では、細かい質問が目立ちました。自分で放射線量を測定した原告に対しては、「どんな器具を使ったか?」、「いつ購入したか?」、「どこを測ったか?」、「地上何センチで測ったか?」、「計測した数値はメモしたか、誰がメモしたか?」、「この数値は記憶で書いたのか?」など。また、「家財道具の処分の意味は?」(売ったのか、捨てたのか?)、「領収書は残していないのか?」など損害請求の内訳についても細かく聞いてきました。

証言された原告のみなさんは、あとで振り返れば、あそこはこう言えば良かったとか、陳述書をもう一度ちゃんと読んでおくべきだったなど、いろいろ反省点はあると思いますが、それぞれ頑張って証言されました。

トピックを一つ。今回は証言者が7名といつもより少なかったこともあってか、反対尋問が決められた10分(東電)、10分(国)を超えることがしばしば。いまは新潟県に在住の女性に対する東電代理人の反対尋問が特に長く、どう考えても20分ぐらい尋問しているなといらいらしていた時でした。川中弁護団長がすくっと立ち上がって、裁判長に抗議してくれました。

そもそも3時半には終わるだろうと予想して、報告集会を3時半から5時までと設定し、群馬訴訟判決の解説を予定していましたが、裁判長の緩慢な訴訟指揮で時間が大幅にずれ込み、終わったのは4時半。会議室が5時半まで取ってあったので、とりあえず報告集会へと声をかけ、30数名の支援者と証言台に立った2名を含む11名の原告の参加がありました。

群馬訴訟判決について解説するはずの田辺弁護士は進行協議で到着が遅れ、会場を出なければいけない5時半にやっと到着。当初予定を大幅に短縮して15分程度で話してもらいました。敷地高を超える津波は予見可能だった、また時間も費用もそんなにかからない措置をとっていれば結果は回避できたとして、東電と規制権限を行使しなかった国の責任を認めた点は評価できることが確認できました。ただ、それに比べて損害については半分以上の原告が賠償を認められず、認められた賠償額も極めて低額である点については疑問がのこりましたが、時間切れで質問の時間がとれませんでした。

群馬訴訟判決については、支援する会の総会&講演会(日程未定)でも取り上げようと計画しています。次の期日(原告本人尋問)は4月21日(金)です。引き続き、ご支援をよろしくお願いします。

◆前橋地裁判決 原発被害者訴訟原告団全国連絡会の声明

原発被害者訴訟・群馬判決についての声明

2017年3月17日

原発被害者訴訟原告団全国連絡会

【共同代表】早川篤雄 中島孝 鴨下祐也 村田弘 森松明希子 金本友孝

本日、前橋地方裁判所において、福島第一原子力発電所の事故による被害者の損害賠償請求訴訟について、判決が言い渡された。

この判決は、全国の裁判所で提起されている同種の集団訴訟のうち、最初の判決となるものであり、私達は強い関心をもって注視してきた。以下、本判決について私達が思うところを指摘し、今後の各地の裁判に期待するところを述べたい。

1 国の法的責任

国の国賠責任を認めたことは、極めて正当であり、高く評価したい。原発事故について国の法的責任が司法によって断罪されたことは、被害回復に必要な賠償が早期に実現することが、国の責任であることを意味する。

さらに、被害者の健康管理、健康被害へ医療保障や生活保障、住宅保障、社会的な誤解や偏見による差別、いじめ等の防止などの政策的対応が、国の責任として要求されていることを示している。これらの真摯な取り組みを強く求める。

特に、今月末を持って区域外避難者への無償の住宅提供を打ち切るという政策は、この事故による被害(避難行動)に、国に法的責任があると断罪された以上、到底許されるものではない。

2 東電の過失責任について

判決は、原賠法3条との関係で、民法709条の責任を否定した。しかし、実質的には東電の過失(責任)を認めており、これを損害評価の要素として重視したことは高く評価される。津波の予見可能性がありながら、その対応をせず、漫然と最悪の事態を招いたことは、無責任の極みである。このような悪質な事故を惹起した東電の責任は重大であって、被害回復のために十分な賠償が命じられるべきである。

3 損害の評価

慰謝料額(損害)の評価、認定については、押し並べて極めて低い水準のものと言わざるを得ず、裁判所の判断はまことに不十分である。

避難区域内の原告ですら、既払金を除いて、最高額が350万円、最低額は75万円の賠償であり、しかも棄却された原告が72名中53名という結果は、あまりにも冷酷なものと思う。浪江町の集団ADRにおける、一律月額5万円の上乗せ(従って6年間で360万円)というセンター提案が、東電が拒否したために成立に至らなかった事案を想起するとき、その内容はADRの水準にも及ばないことを意味していないか。

原賠審の中間指針の基準は、行政による早期・最低限の救済策に過ぎないことは、判決も認めているところであり、それにもかかわらず、本来あるべき損害の評価をせず、あるべき賠償水準を認めなかった判決は、司法の役割の放棄であるといわねばならない。

4 ふるさと喪失による精神的損害

判決は長文であり、配布された要旨には、損害に関する記載が省略されているため、ここでは論評できない。しかし、上記のとおり、認容水準が著しく低いことからすると、「ふるさとの喪失」に対する評価は十分なもとは考えにくい。

本件事故による放射能公害は、わが国の公害事件において前例のない事態であり、「ふるさとの喪失」という被害を生じさせた。すなわち、当該地域で生活してきた住民の、地域における人間的な交流をはじめ、様々な生活と生業を根こそぎ奪い、積み重ねてきた人生を破壊した。原発事故は、そのような取り返しの付かないものであることを、判決は十分に理解していないのではないかと懸念する。

5 区域外避難について

判決は、区域外避難者について避難区域内からの避難者と区別し、一層低い賠償しか認めなかった。このことは、判決が区域外避難について、その相当性や合理性を十分に認めていないのではないかと懸念させる。

しかし区域外の原告らは、五感によって関知できない放射線による健康への影響に不安を感じ、安全を確保するために、生活を犠牲にして避難した。想定される事態が重大で、取り返しがとかないものである場合、そのリスクが科学的に否定できない限り、予防原則に従って行動することは合理的な判断であって、法的に許容される必要がある。原告らの判断と行動は、一般人・通常人にとって合理的なものと認められ、この損害には相当因果関係が認められる。

避難元である元の居住地が避難区域内であろうと区域害であろうと、避難によって生じる精神的損害には違いがないはずである。元の自宅を離れて、避難先での著しい生活阻害、困難な生活を強いられる点で変わりはない。また、ふるさとでの生活を奪われたことによる「故郷喪失慰謝料」も、元の居住地・自宅に戻れない以上、同じ被害を被っているからである。

それにもかかわらず、これらを区別して、著しく低い損害評価をして、区域内からの避難者との間に差を設けたことは不合理というほかない。まさに被害者を分断するものであって容認できない。

以 上

◆前橋地裁判決 弁護団声明

福島第一原発事故 損害賠償請求事件 前橋地裁判決
弁護団声明

本件訴訟の判決について,弁護団としての見解を述べる。

1 国の賠償責任について

本日の前橋地裁判決は,国の規制権限不行使が違法であったとして,国に賠償責任を認めた。国の規制が適切に機能していなかったことは,平成24年9月に公表された国会事故調報告書においても「規制の虜」という表現によって厳しく指摘されていたところであるが,本判決は,司法の観点からも国の規制が不適切であったことを再確認するとともに,それが法的に違法と評価される程度の重大なものであったことを明確にしたもので,極めて大きな意味がある。

本判決は,原発に対する規制については,国が違法を犯すことがあり得ることを明確に示したものであり,国の規制に対しては徹底した情報開示と主権者である国民による不断の監視が不可欠であるという警鐘を鳴らしたものといえる。今後,国は,被害者に対する賠償が自らの責任であることを自覚し,誠実に実行するべきである。

2 慰謝料額について

本判決は,それぞれの原告が福島第一原発事故で被った精神的苦痛を個別具体的に認定し,原子力損害賠償紛争審査会が定めた中間指針等とは別に独自に慰謝料額を算定し,ある程度の範囲の原告について中間指針等に定められた賠償額をこえる慰謝料を認めた。

そもそも,中間指針等に定められた賠償額は,共通した損害についての最低限の基準にすぎず,個別具体的な損害が立証された場合には指針で定められた損害額を超える賠償がなされるべきことは当然である。しかし,認定された被害額は少額にすぎ,このため,既払額を超えず,棄却となった原告もおり,被害者が受けた精神的苦痛が適切に評価された金額と言えるかについては,大いに疑問がある。

3 津波の予見可能性について

本判決は,平成14年7月に地震調査研究推進本部が公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」等を根拠として,津波の予見可能性を認めた。

原発は,ひとたび大事故を起こしたら本件原発事故のように甚大な被害を生じさせる施設であり,極めて高い安全性が求められる。そして,その安全性を維持するためには,自然科学に関する知見を常に探求し,最新の知見を反映させなされなければならない。

本判決は,国と東電が,このような原発の安全性維持のために求められる真摯な姿勢に欠けていたことを指摘し,国会事故調報告書も明示していたように,本件事故が「人災」であることを改めて認定したものといえる。私達は,本判決を受けて,東電と国が,被害を受けた住民に対して速やかに十分な賠償をするよう,あらためて強く求めるものである。

2017年(平成29年)3月17日

原子力損害賠償 群馬弁護団 団長
鈴木克昌

◆3/8原発賠償 京都訴訟 第24回期日の御礼と報告

みなさま
原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会事務局の上野と申します。

昨日は、原発賠償京都訴訟第24回期日、原告本人尋問が再開されました。朝は支援者の出足が悪く、傍聴席は埋まらないかもしれないと心配しましたが、無事抽選になりました。傍聴に参加いただいたみなさま、抽選にはずれて帰られたみなさま、ありがとうございました。

今回は原告9人が証言台に立ちました。証言台に立たれた原告のみなさま、お疲れ様でした。

本人尋問は、主尋問5分、反対尋問20分(東電・国合わせて)という変則の時間配分でした。細かい証言内容の紹介は避けますが、それぞれの原告が訴えられた要点をまとめてみました(ただし、その場限りの聞き取りによるので、勘違い等があるかもしれませんが、その点はご容赦ください)。

◇避難指示区域の富岡町から避難した男性は、原発が爆発したことでショックを受け、体調を崩し、職も失った。だが、原発事故で失ったのは金銭だけではない。仕事も友だちも未来も失った、と訴えました。

◇仙台市から避難した女性は、子どもに沢山ののう胞が見つかった。早く正しい情報を教えてもらっていたら、子どもたちを被ばくさせずに済んだと思うと悔しいと涙ながらに訴えました。また、空間線量が下がったことを強調する被告側代理人の尋問には、「空間線量だけでなく、食べ物からも被ばくする」と内部被ばくの危険性を訴えました。

◇福島市から避難した男性は、子どもたちが喘息のように咳き込んだり、連日鼻血を出したり、目が開かないくらい目やにが出たことについて、障がいがあって自分で外に出ることのない長女にも被害が出たので放射線の影響があると思ったと証言。裁判所に対しては、原発事故は薬害エイズや水俣病と同じだと思う。大企業の利益を優先した結果、一般市民が被害を受けた。判決で、そういう社会のあり方を変えてほしい、と訴えました。

◇福島市から避難した女性は、子どもたちは高校生以上だったが、女の子の場合は生殖細胞にも影響があるという記事を読んだこと、事故前は子どもの枕元で0.4μSv/hあったことから避難を決断。今でも母が送ってくる手作りの干柿から50ベクレル/kgのセシウムが検出されることを証言。裁判所に対しては、きれいな自然環境が壊され、大きな喪失感がある。原発事故がなぜ起きたのか、真実を明らかにしてほしい、と訴えました。

◇福島市から避難した女性は、避難後に子どもが「放射能のばい菌、帰れ」などのいじめを受け、喧嘩両成敗の形で退学に追い込まれたことを証言。裁判所に対しては、被告の国と東電は避難はおかしいと責めているが、安全と言い張って原発を作った自分をまず責めるべきだ。18歳以下の甲状腺がんは調査のたびに増えている。避難する権利を認めてほしい、と訴えました。

◇郡山市から避難した男性は、メルトダウンという事実やスピーディのデータを隠した国や行政の「心配しなくてもいい」は信用できなかった。娘夫婦は近くに家を建てる計画をしていたが、すべて崩れた。故郷が元のようになれば帰りたい、と証言しました。

◇いわき市から避難した男性は、農業研修を終え農地を借りて農業をやる予定だったが、原発事故で農産物の価格が下落するのは目に見えていたため、就農の受け入れ先を探し京都へ避難。研修中に借りていた農地で使っていた不織布から20万ベクレル(/㎡か?)のセシウムが出た。放射線管理区域並みの汚染が残るいわき市に帰る気はない、と証言しました。

◇福島市から避難した男性は、避難先での仕事がうまく行かず避難前に営んでいた不動産会社を再開することになったが、山や川、森の除染が進んでおらず、子どもが遊べるような状態ではないため、妻と子どもを連れて帰ることは考えていないと証言。被告が事故の責任を負わないことに憤りを感じる。この裁判で解決してほしい、と訴えました。

◇つくば市から避難した男性は、子どもを守りたいとおもい避難した後、通常の勤務以外に夜間のアルバイトをした無理がたたり、脳こうそくを発症し療養生活を余儀なくされた。避難する際、セシウムの半減期くらいは帰れないと思っていた。放射線量、食べ物、環境すべてで安全・安心が確認されるまでは帰れない、と証言しました。

被告側からの反対尋問は、相変わらず①講演会に行って聞いたと言うと、「誰の講演会か」「その人は放射線の専門家ですか」と問い、(これは専門家でもない人の意見を聞いて勝手に判断したと印象付ける意図があるものと思われます)、②避難前に子どもが通っていた幼稚園や原告の勤務先、近所で他に避難した人はいたかと問う(避難した人がいない、または少ないという答えを引き出すことで、原告が放射能を気にしすぎていると印象付ける意図)というパターン化したものでしたが、今回は損害請求の内容(例えば、家財道具の引っ越し代、買い揃え、人の移動費用、避難雑費)について、「家財道具とは具体的にどんなものを?」などと細かく聞いてきました。

ある原告さんが「崎山先生や矢ヶ崎先生」という名前を挙げたのに対しては、さすがに「専門家ですか?」とは聞けないので、「先生から直接避難した方がいいと言われたのか」と聞いてきました。これは、専門家の場合はその人から直接避難を勧められたわけではないとしてその効果を低める意図があると思われます。また、ある原告さんは「放射能の危険性についての認識の違いから周囲の人とコミュニケーションがとれなくなったんですね?」と聞かれ、「放射能の危険性は自分で調べないとわからない」と答えていました。

それぞれ言い忘れたことがあったとか、あそこはこう言えば良かったなどの反省はあると思いますが、みなさん頑張って証言をされたと思います。

閉廷後に開催された報告集会には、証言台に立った4名の原告も参加され、全員があいさつをされました。その中で印象に残ったのは、「本人尋問では、被害者が責められる感じになるので、支援者の方の存在が支えになります」との言葉でした。報告集会で記入いただいた感想については別途紹介させていただきます。

これからも本人尋問が、3月29日(水)、4月21日(金)、5月12(金)、5月26日(金)と続きます。丸1日の傍聴は長いため、午後からは空席が目立つようになってきました。午後からだけの傍聴も大歓迎です。傍聴席を満杯にするために、ぜひ京都地裁にお越しください。よろしくお願いします。

◆2/17原発賠償 京都訴訟第23回期日の御礼と報告

原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会事務局の上野と申します。

2月17日に行われた京都訴訟第23回期日の報告です。長文、ご容赦願います。

今回は、専門家証人に対する反対尋問が行なわれました。低線量被ばくと健康への影響に関して専門家証人が証言台に立つのは全国でも初めてのことであり、全国的にも注目されています。難しい内容にもかかわらず多くの支援者の方が詰めかけてくださり、抽選となりました。昼休みで帰られた方が16名おられ、午後から来られた方はほぼ全員が傍聴できたのではないかと思います。

日頃から連携して裁判を進めている関西訴訟弁護団との協議で、原告側の崎山比早子証人に対する主尋問は京都弁護団が担当し、被告側証人への反対尋問は大阪の弁護団が担当するという役割分担をしたそうで、大阪の加藤弁護士、西念弁護士、柳弁護士の3名が尋問に立ちました。

午前中は、原告側の崎山証人に対する反対尋問でした。崎山証人は約2時間立ちっぱなしで、堂々と尋問に応じられました。

原告側代理人が最も時間をとって尋問したのは、元福島県立医大特命教授だった柴田義貞証人。論点はいろいろありましたが、専門的で理解しがたいことも多かったので、みなさんにも馴染みのある「しきい値」問題と福島県民健康調査に絞って紹介します。

◇被告側の連名意見書が、崎山意見書の「原爆被爆者の死亡率に関する研究」(LSS)14報の評価は「明らかな誤りだ」と批判している点を取り上げました。崎山意見書が引用した「ゼロ線量が最良のしきい値推定値であった」は「要約に書かれたもので、本文とはニュアンスが違う」と主張しているのに対し、証人に本文を示しながら要約と違うことが書かれているわけではないことを確認していきました。反論できない柴田証人は、最後には「最良と書くなら、どういう意味での最良なのかを書かないといけない」などと14報の著者である小笹晃太郎氏にいちゃもんを付ける始末でした。

◇福島県民健康調査について、被告側は甲状腺がん多発の原因についてスクリーニング効果だと言っています。柴田証人は、「これだけの甲状腺がんが見つかると予想されたか」の問いに「予想された」と強弁。「事前の説明には予想されるとは書いていないではないか」の問いには「議論はされたと思う」と筋違いの答弁。
「予想されたのなら、そう説明しておかないと却って不安を与えるのではないか」との問いに明確な反論はありませんでした。

◇崎山意見書が先行検査(1巡目)でA判定とされた子どもから本格検査(2巡目)で甲状腺がんが見つかる例が多くあったことを指摘したのに対し、前回の主尋問で柴田証人は1巡目でB判定とされたものが2巡目でA判定に戻った例もあったと証言しました。これについて「いったん甲状腺がんと確認されたものが、2巡目でA判定に戻った例はないですね」との問いには「はい」と答えるしかありませんでした。

◇チェルノブイリ事故の時も当初はスクリーニング効果だと言われ、その後放射線によるものと確認されましたが、その論争に「決着をつけた」のが実は柴田証人もかかわった調査報告書でした。事故後に生まれた子どもをスクリーニングしたところ、甲状腺がんは一人も見つからなかったのです。「決着をつける調査がされていない段階で、放射線の影響ではないとは言えないのではないか」の問いには「チェルノブイリと福島では被ばく線量が違う」、「本格検査の結果はスクリーニング効果では説明がつかないのではないか」の問いには「画像に出ない場合もある」などの苦しい言い訳しかできませんでした。

佐々木康人証人には、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告の「公衆被ばく限度=年1ミリシーベルト」や「現存被ばく状況」などについて尋問。この中で佐々木証人は、「公衆の被ばく限度は現存被ばく状況では適用されない」と述べ、参考レベル(年1~20ミリシーベルト)について「規制のための数値ではなく、防護の最適化を行なうための指標、目安である」と言いながら、「勧告の対象は、国や電力会社ですね」との問いに「いや、一般的に述べている」とそれを認めず、最後は「公衆も含めて」とまで言いました。

*酒井一夫証人についての反対尋問は、放射線による発がん問題に関してでしたが、割愛します。

最後に崎山証人への再主尋問があり、崎山証人は国連科学委員会(UNSCEARアンスケア)について証言。アンスケアは純粋に科学者が集まる通常の国際学会とはまったく違うもの。ICRPは電力会社の支配下にあるが、その委員とIAEA(国際原子力機関)、アンスケアの委員は兼任している人が多い。ゴンザレスはすべて兼ねている。この3つは密接に繋がっている。チェルノブイリの小児甲状腺がんについてもアンスケアが認めたのは事故から14年後の2000年になってからだった。これに対して、再主尋問を要求した国側代理人からはそれに対する反論は一切なく、裁判長から「アンスケアについては尋ねないんですか。そのために許可したのに」と皮肉を言われる有様でした。

閉廷後に開かれた報告集会には反対尋問に立った大阪の弁護団も出席し、それぞれ自分の担当した尋問について解説。崎山証人への再主尋問を担当した京都弁護団の田辺事務局長は「本当はアンスケアの話はしたくなかったんだけど、昨夜崎山先生の方から逃げてたらだめだと言われた」と裏話を披露。「今日の反対尋問は成功だったと思う」と総括されました。川中弁護団長は「なんと言っても、最終尋問の崎山先生の気迫がすごかった。今日で大きなヤマを越して、より一層明るい展望が見えてきた」とまとめられました。

次回は3月8日(水)。再び原告本人尋問に戻り、9名の原告が証言台に立ちます。ぜひとも傍聴席を満杯にして、原告を支えていただくようお願い致します